おじんちょのよかった

過去のブログが閉鎖されたので、残しておきたい一部をこちらに転載しました。古い内容です。

不安で怖いのはあたりまえ

佐藤浩市のお悩み相談でのアドバイスがよかった。

「新しいことにチャレンジするときは不安で怖いものだよ。

だって新しいことなんだから不安になるのはあたりまえ。

チャレンジするんだから怖いのは当然。

不安にならないことなんて、そもそも新しくないんなだよ。

怖くならないなんてチャレンジじゃないんだよ。でしょお~?」

羽生名人のありがたいお言葉を息子に贈る

かねてからこのブログでも書いているか、息子のやる気を引き出すにはどうしたらいいかと悩んでいる。ダメ父ちゃんごときがアドバイスしても、失敗人生を踏襲するだけになってしまうし・・・。もうすぐ息子の誕生日。いろいろ思案した挙句、プレゼントは別で送るとして、次のような文をメールで送ることにした。

父ちゃんもなるほどと納得の羽生善治のありがたいお言葉。尊敬する羽生名人の言うことなら興味あるでしょ?

何かに挑戦したら
確実に報われるのであれば、
誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって
継続しているのは非常に大変なことであり、
私は、それこそが
才能だと思っている。


いろいろ考えられる選択肢の中から、
「この一手」を選ぶのは
自分しかいないわけです。


遠回りしながらも、
もがいて身につけたものの方が、
簡単に得たものよりも
後々まで役立ちます。


誰でも最初は真似から始める。
しかし、丸暗記しようとするのではなく、
どうしてその人がその航路をたどったのか、
どういう過程でそこにたどり着いたのか、
その過程を理解することが大切だ。


努力をしている人の側にいると、
自然にいい影響が受けられるだろう。


ビジネスや会社経営でも同じでしょうが、
一回でも実践してみると、
頭の中だけで考えていたことの
何倍もの「学び」がある。


何事であれ、
最終的には自分で考える覚悟がないと、
情報の山に埋もれるだけである。


細かく考えすぎたら
その場から動けないし、
だいたいで動いているだけでは
目的地につくことはできない。


三流は人の話を聞かない。
二流は人の話を聞く。
一流は人の話を聞いて実行する。
超一流は人の話聞いて工夫する。


守ろう、守ろうとすると
後ろ向きになる。
守りたければ
攻めなければいけない。


成果が出ないときこそ、
不安がらずに、恐れずに、迷わずに
一歩一歩進めるかどうかが、
成長の分岐点であると考えています。


相手の意図を考えることから
駆け引きは始まる。


大きく見ることと
小さく突き詰めていくこと、
このバランスが大切なのだと思う。


どんな場面でも、
今の自分をさらけ出すことが大事なのだ。


欠点を裏返すと 
それがその人の一番の長所であったりする。


集中力は、人に教えてもらったり、
聞いて身につくものではない。
勝負どころでの集中力を発揮するには、
集中できる環境を
自らつくり出すことこそが大切だと思っている。


人生の中で目指しているものが
はっきりしている人は
いくつになってもエネルギーがある。


無駄な駒は
一枚もない。


勝負に一番影響するのは
「怒」の感情だ。


「好き」には、いろいろなレベルがある。
自分がどれだけそれを好きなのかを知ることも大事だと思う。

さりげなく周りが気持ちよくいられるように陰で努力している姿が美しい

TVの地方ニュースが森理世さんを取り上げていた。2007年ミス・ユニバースに輝いた森さんは、華やかな世界から一転、地元へ恩返ししたいと静岡で子どもたちにバレエを教える道を選んだことが紹介されていた。

華やかな世界を経験し、その後世界のチャリティーイベントなどへ参加し、自分が今何をすべきか悩み考え、その答えが地元へ戻ることだったという。すごいな~と思いながら見てました。

その後ネットで森さんを紹介する記事をみつけました。その中で、とても良いことが書かれていたので抜粋します。

森さんは、日本人の「アピールべた」という一見、短所とも思える特徴も「日本女性の美しいところ」だと語る。「たしかに海外の女性は、自分をアピールしたり、セルフプロデュースすることに長けていると思います。それは彼女たちにとっての強み。でも日本女性は、人が見ていない場所で誠心誠意、行動ができる。アピールするという気持ちではなく、相手に気づかれずにさりげなく周りが気持ちよくいられるように陰で努力している姿が、すごく美しいことだと思います」と普段は見失いがちな日本女性ならではの魅力をアピールした。

いじめで自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残した・・

「いじめで自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、いじめる側にも立った」

曽野綾子さんのこのことばが、ネット上で多くの批判を浴びてるようだが、僕には批判に値するとは思えない。石田衣良さんも似たようなことを言っていたが、自分の考えをこのブログに残しておきます。

いじめはどんな場所にもある、学校にも、職場にも、サークルにも。いじめのない社会などない。僕が小学校の頃は、常にいじめの対象であったが、おそらくいじめた本人はいじめてるつもりはなかっただろう。いじめられていたこの自分でさえ、ある女の子が、そのお父さんの職業についてからかわれたとき、からかう側にまわったこともあったのだ。・・・いじめの加害者と被害者をはっきり分けられるほど、単純ではないと思う。

「いじめはよくない、やめよう」などと軽々しく言える人がいたら、その人こそ、知らず知らずのうちにいじめる側に立っているかもしれない。

曽野綾子さんの今回の言葉は、むしろもっともな内容だと思う。交通事故で不幸にして人を殺してしまった場合、加害者は一生の傷を背負うことになる。会社を辞めさせられたり、損害賠償で一生支払い続けることになったり。もし運転者側の過失より、被害者側の過失が大きかった場合、むしろ加害者は交通事故で亡くなった人とみなすこともできるのだ。どちらが被害者かなんて、簡単に判断できないケースもあるのだ。それと同じことがいじめ自殺でもありうるということ。メンタルの弱い人間がちょっとしたきっかけで発作的に死んでしまえば、自殺のきっかけを与えたかもしれない言葉を浴びせた相手が、一生の傷を背負うことになってしまう。

いじめ自殺に関して言えることは、とにかくタフになれ、タフになれないならその場からひとまず逃げろ、ということだ。そのうち少しずつ強くなっていく。こんな僕でも少しはタフになってるのだから。

曽野綾子さんの言葉は、これまでもいろんな大事なことを気づかせてくれました。

流行りの物よりも

SONGS「中島みゆき~夜会への招待~」より。時代の先端を走ってるようで、そうではなかったのかと、目からウロコの中島みゆきの言葉です。昭和の人間にとって勇気をもらえる言葉です。

「今流行りのものを作っていくってことよりも

時の流れが落っことしていった物を

一番後ろから拾いながらトボトボと行くっていうのが

私には合ってるかなと思ってるんです

でも私はそれできっとうれしがっているんだろうなと思います」

自分のダメなところを見せちゃおう

マギー司郎さんは、あの縦縞のハンカチを横縞に変えるという素晴らしく面白いマジックを披露するマジシャンですが、昔からとても好きなんです。NHKの「ようこそ先輩」に出演されて、小学校のクラスでこんな授業をやっていました。

自分の弱点は人に見せないようにして、長所をアピールしなさい、

そして弱点は克服するよう努力しないさい・・・

と言われるのが一般的だと思うけど、自分にはそれができなかった。

茨城なまりは抜けないし、マジックは不器用で一向に上達しない。

そんなとき、むしろダメなところみんなに見せちゃおう、

むしろそれを武器に変えてアピールポイントにしちゃおう、

発想の転換をして、あの芸風が出来上がったとのこと。

そしてクラスの小学生たちに対して、自分のダメなところを

みんなの前で発表し合うという授業をする。

かなり昔の番組ですが、今でも感動したのをよ~く覚えています。このドキュメンタリー番組は名作で、何かの賞もとっています。

 

いつまでたってもなんにも、気づいたりしません

昔はまっていたTVドラマ「女王の教室」の台詞から。
摩耶先生が小学生の生徒に向かって言ったことばです。

今しかできないことはいっぱいあるんです。

それをちゃんとやらずに、

将来のことばかり気にするのはやめなさい。

そんなことばかりしていると、

いつまでたっても

なんにも、気づいたりしません。